無冠文庫

古今東西傑作小説集

掌編視覚『顔』

「私の初恋の相手を紹介するから」

そう言って私は、友人を呼びつけた。

「ここの美術館変わってないのな」

言いつつも友人は物珍しそうに作品を眺めた。美しい後ろ姿の西洋絵画のレプリカ。

「私はよくその壁の彼女に会いに来るよ」

「は、えっ」

「小学校の遠足以来。毎週、今日も」

「初恋、絵っ」

みんなは初めて彼女を見た時、「どの角度から見ても目が合う」と言った。

「私には彼女が後ろを向いている様に見えるんだ。だけど君には彼女が微笑みかけてくれるんだろう」

私の言葉の意味が友人には伝わらない。

「彼女が私に振り向く事はないと、この10年で痛いほどわかったから、せめて君に教えて欲しいんだ。私の初恋の彼女の顔を」

彼女は神話のメデューサの様な顔だろうか、石みたく硬直していた友人の口が動いた。

「俺には叫びに顔を歪める男の姿が見える」


常識は錯視かもしれない。

私は友人の、本当の顔がみたい。

掌編触覚『瞳の夜』

「おやすみ」から始まる夢の世界で、

「おはよう」は滅びの呪文なんだよって、

いつか傍らで嫋やかな君が言った。

二人の帳。すやすや安らぐ君の隣で、寝むれぬ一夜を一人過ごした。

今夜、「おやすみ」と君が言った。眠った様な呼吸は和みの飽和でいて、薄紅に蒸した頬と向けられるままの出来上がった瞳に、君の唇をつい奪った。

「おはよう」

今度は君に、耳元に囁く。

応える無垢な笑いに、いつもは独り夢へ還る君を呼び止めていたんだと気付く。

夜を跨いで愛し合う。

初めての交わりに炉心の気持ちを、美しい響きを集めて贈る。夢現に消えてしまわない様にぎゅっと、温もりを感じ今を抱きしめていよう。伝えるために口づけた。

夢を伝えて愛を貰って、

愛を伝えて君の夢を守らう。

薄っすり開く目に、互い映りあって顔が染まる。照れ隠しに抱きしめ、そっと倒れ込む。夢みたより柔らかい壊れものの毛色の君が、痛まないよう腕を回し、いつまでか見つめていた。どきどきがぐるぐる巡って吸い込まれた。みたいに、深い夜の色に溶け睡っていた。


僕の夢は 夢をみる コト。それは自分がココにいる意味を知るということで、多分無意味な生きることを、幸せと思えるコトだ。

掌編聴覚『みえないモノが見える』

机が爆発した。

一億分の九千二百万人が消えた。これはもしもの話だ。僕らの生活には不可欠で、学校も、オフィスも、食卓も、机が支えてるけど、当たり前過ぎて誰にもみえない。

これは今、目の前の話。

一割の人は左手に、僕はこの右手に誰かの見方を握りしめ、考える事を辞めた。

見たくないものが見える世界から逃げるように視線を落とす。その先に僕らの目は溶けて落ちた。もう半分くらいは画面の向こうにいる。

1日が終わる。

朝起きて、画面越しに僕を操作する。歩くのも、食べるのも、友達も、みんな画面の中に引きこもったまま。

僕らは画面の中に閉じ込められた。

だけど出方を忘れた訳じゃない。見える世界の猛毒も、僕ら自身も、この箱の中では何もみえない。僕が怖いのは僕ら自身だ。僕は自分が誰かの猛毒になるのが怖い。

「顔をあげて」

この箱は僕らの棺じゃない。みえないモノが見えるから僕らは痛みを知れるはずだ。側にいる誰かの声だって、きっと聴こえない訳じゃない。


帰り道、誰かの声にイヤホンを外した。

たまには耳を傾けて、みるモノも悪くない。